灼眼のシャナⅩⅩⅡ 感想

灼眼のシャナⅩⅩⅡ 2011.10

 

今回は、灼眼のシャナ22巻です。

本編最終巻。400頁でまたもや各地で戦闘が入り乱れる展開。腑に落ちる終わり方だったかというと微妙でしたね…。一応ハッピーエンドとしておきましょう。

表紙は、炎髪灼眼ではない通常シャナ。

あらすじ

割愛

感想

正直なところ、ずっと主人公を蔑ろにして、最後に取ってつけたようにシャナに告白させて和解した感じになってるのが、どーしてこーなっちゃったかなーという。

悠二が[仮面舞踏会]の盟主と合一したという辺りからむむむ…?という展開で、何か目的も曖昧で、急転直下な感が否めなかった。ずっとシャナは悠二と一緒にいたいと思ってたのに、何故か悠二が一人歩きし始めたんですよね。

そもそも、この作品は悠二が徒とかの世界の理を知って、シャナと鍛錬を積む中でお互いが成長して、迫り来る敵を躱して倒していく話だと思ってたんです。ま、作者の意のままに進めるのは読者として異は無い訳なんですが、最後まで"祭礼の蛇"の意思と悠二の意思が分かりにくいというか、漠然としていた(何故反発し合わない?)。

ハッピーエンドという観点においては、『無何有鏡』が出来上がったので、徒が現世からいなくなったこと、加えてよく分からないけどシャナのお陰で、向こうへ渡った徒が人を喰わないこと、舞台となった御崎市がしっかり元通りになったばかりか、忘れ去られていた(笑)平井ゆかりの復活まで成ったこと。勿論、シャナと悠二が恋愛的に成就したこと。この辺りか。

で、何か急にここまでした自分を罰さなきゃーと言い出した悠二を、シャナが宥め賺して2人が共に『無何有鏡』へと旅立って終了。簡単に説得されるんかい。そも『無何有鏡』にも人間がいるっていう理屈が分からない。平行世界とは言ってたけど…。

まーでも、悠二が何もしてなかったら徒がいなくなるっていう状況にはなってないのかな?逆に、"祭礼の蛇"が普通に顕現してたらどうなってたんだっけ…? 

一応今回の話で拾えた部分を記載しておくと、前述の徒の『無何有鏡』への移動、レベッカが招集したフレイムヘイズ1000弱もヴィルヘルミナと共に『無何有鏡』へ、悠二とシャナの和解(仲違いしてたとは少し違う気もするが)、フィレスとヨーハンが遺した『両界の嗣子』ユストゥス、リャナンシーがドナートの絵を顕現、カムシンや教授やシュドナイの死?という所か。あと、吉田さんは死んでません!(ヒラルダの使用=死は虚誕でした)

そういえば、『百鬼夜行』の面々も登場してました。今回は味方として。吉田さんの存在が悠二の作戦に必要だった云々が結局、吉田さん抜きで儀式やってたような…、『零時迷子』だけで何とかなった?

今回のbest words

私は、悠二が誰よりも好き。ずっと一緒にいたい (p.391 シャナ)

あとがき

この作品が長く続いたのは、マージョリー・ドーと吉田一美嬢の活躍ゆえだなーと、振り返って思います。

屠殺の即興詩ってどういうワードの選び方なのか気になります笑。